ポケットと中国考


中国外務省の劉勁松アジア局長が7月末に交代した。2025年、首相の台湾有事に関する発言の直後、訪中した日本の外務省幹部と会談。その際、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま見送り、話題となった御仁。駐オーストラリア大使就任というので粛清・更迭ではない。中国らしい。
ポケット事件、ボクは今も中国プロデュースの演技と思っている。「威圧、上から目線のポケット」に日本政府や国民の反応を確かめたのだ。如何せん日本はマスコミ含め非礼を揶揄・戯画化はしたが“怒り心頭殴り込み”なんぞはなく、大人の対応をした。相手は見事に肩透かしをくらったのではないか。
中印国境紛争(1962~)や中ソ国境紛争(1969~)は漁民や羊飼い、国境警備隊などのささいな小競り合いから軍事出動、銃撃戦にまでなった。その政治的背景は「ダライ・ラマ14世の亡命はインドの策略」「フルシチョフの社会主義は毛沢東思想と違う」大体そういうものだった。14億の民を統括するには民に「この国は正しい、正義の味方」を徹底しなくてはいけないのだ。
民主国家のマスコミが中国の人権、新疆ウイグル自治区、台湾、政府要人の批判などすれば事後にビザ凍結や拒否、取材妨害、嫌がらせ、果ては逮捕まで今もある。共産党国家の維持と安定のためだ。気の毒なのはグレート・ファイアウォール(金盾)で情報源を閉ざされている民である。
資本主義や共産主義の是非や好き嫌いを論じているのではない。
ポケット事件から9カ月経って、日本の知的で冷静で礼節ある対応に改めて「あっぱれ」をあげたいと思い且つ日本人であることへの誇りを感じている。
