首相の器か
櫻井よし子さんの芯のぶれない姿勢は好きなのだが、10月7日付け産経新聞「美しく勁(つよ)き国へ」は同意しかねる論だった。
「石破氏は宰相の器か」と題して2008年に起きた海自イージス艦あたごと漁船衝突事故で石破防衛相(当時)が漁船遺族の側に立ち続け身内の海自隊員への思いやりが欠けていた」これでは「国を守るため最高指揮官としての石破氏をリスペクトしている自衛隊員はいない」と断定している。「メディアに阿(おもね)っている」とも。
公権力(海自)と1弱者(漁船)の事故で防衛相が公権力の味方には立場上つけない。あくまで(ポーズであってもなくても)弱者の側に立つべきだ。事故以来今日まで石破氏は遺族と深い交友を続けているという。その時だけのポーズではなかったのである。
櫻井さんは「裁判費用も海自仲間で調達した」と国が費用を出さなかったのを暗に批判している。が、公権力が関わる事故事件の判決の前の裁判中に国が費用を負担すること自体に違和感を感じる。
きたる衆院選で不記載議員の非公認、比例代表重複立候補を認めず、で自民党内外は騒々しい。これら一連の首相の動きをみて「首相の器か」と論じるのならまだ理解できるが16年前の1事故の対応で「首相の器か」(そうではない)と論じたのは櫻井さんちょっと軽々すぎます。