年はとりたいもんだ

「年はとりたくないもんだ」と今まで何度も言ったものです。しかし実はそうでもない、年をとってもいいものだ、と感じています。「高齢者の負け惜しみ」と言われるのを百も承知で書きます「年をとってみるもんだなぁ」。
- 自分の年齢に近い人の訃報を耳にした時、申し訳ないが「生きている幸運」を思う。
- 大病すればその体験を他人に聞かせ人の役に立つ。
- 現役時のような生意気さ・傲慢さがなくなった(と思う)。
- 働かないでカネをもらえる喜び(年金受給)がある。
- 配偶者と純粋・ピュアな夫婦関係になる(と思う)。
- 町内の人や知人と見栄や損得なしの連帯友情がわく。
- 他人に教えを乞うことを恥じと思わずなんでも聞ける。
- 子供の頼りにされなくなり自由解放される。
- 義理立ての冠婚葬祭が減る。
- 「昭和」を知らない若い人から尊敬される(と思う)。
以上10項目。後期高齢者ならぬ「高貴」高齢者などと言う身の程知らずではないつもりです。年と取らなければ分からないことはだまだ沢山あるようです。それも《年をとってみなければ分かりません》よね。